僕は選択の理由を上手く伝えることができない

 

就職活動、卒論で考えさせられていることだ。

 

 

「僕は選択の理由を上手く伝えることができない」

 

 

今の僕の悩みの種だ。

 

 

選択とは、どこの店に行くか、レストランに行って何を食べるか、映画館で何の映画を観るか、旅行先をどこにするか、携帯をどれにするか等々・・・複数の選択肢から1つを選ぶことを意味する。

 

 

僕は、今まで「感情」と「感覚」と「直感」に身を任せて人生を生きてきた。ほとんどの「選択の理由」は、ビビッときたからとか、感動したとか、楽しそう、とかその程度であった。僕は、映画館に行ってからポスターを見て、観る映画を決める・・・そんな男だ。運と偶然を愛する。だから、公の場での「選択の理由」の説明が非常に苦手である。なんとなく選んだ、と言いたいのに言えない。でも、さっき述べたような理由(ビビッときたからとか、感動したとか、楽しそうとか)ぐらいしか思い浮かばない。小さい子供と変わらない。なぜ、僕はこのような状態なってしまったのだろうか?

 

 

おそらく、ほとんどの選択(意思決定)の場面で「その選択の妥当性」を考えたことが無かったからだ。

 

 

つまり、他と比較検討したうえで、コレが良い!と考えて選ぶことが無かった。・・・ということに、22年生きてきて、ここ1年でやっと気付いたのだ。例えば、携帯を買うにしても、店頭に行ってから並んでいる携帯のデザインと操作性から直感で選んでいた。ものの15分で選択できる程度のものである。僕の人生において、十分に比較検討して選んだ・・・という記憶がほぼ無い。

 

 

僕の今までの選択には、合理的な理由が思い当たらず、全ての選択は「考えが浅いまま」終わっていたのだ。だから「選択の理由を上手く伝えることができない」状態で22歳になってしまった。

 

 

就職活動の面接では、次のように問われた。

 

なぜ、あなたは●●大学に入学したのか?

(他の選択肢はどうだったのか?)

 

なぜ、あなたは自転車で旅をしようと思ったのか?

(他の選択肢はどうだったのか?)

 

なぜ、あなたは目的地を鹿児島にしたのか?

(他の選択肢はどうだったのか?)

 

なぜ、あなたは当社に入社したいのか?その動機は何か?

(他の選択肢はどうなのか?)

 

注意:()は、口には出さないが意味として含んでいる。

 

 

これらの質問に対して僕は「当時の自分の感情」を正直に答えていた。

 

大学なら、自然豊かな場所が良かったから・・・・とか(笑)

 

自転車なら、お金が無かったから・・・とか(笑)

 

 

でも、よく考えてみると、仕事における意思決定の場面で、こんな僕みたいに「個人の感情」に頼っていたら正直言って恐ろしい。周りからしたら迷惑はなはだしい。「楽しそうだから」こっちを選択した、とか。最悪の場合、会社に大損害をもたらすかもしれない。もちろん僕の野生の勘ってのも、時には信頼に値するかもしれないが。笑

 

 

とにかく・・・面接ににおいての僕は、選択をした「当時の自分の感情」を語るのみで、そこに「合理的な選択理由」が存在していなかったんだ。それはまるで・・・前情報を仕入れず家電屋に行ってデジタルカメラを選んで買う人と同じだ。個々のカメラの性能を比較検討せず「なぜ、このカメラにしたかって?店員に勧められたしー。あと、そーだねー、なんとなくデザイン気に行って、これを選んだわ。デザイン良くない?」とか言ってしまうあれ。

 

 

そして

 

 

僕は最終面接で6回の不採用通知をいただいた。ちなみに、最終面接以外も含めて、ほぼすべて落ちる面接は取締役クラスの面接である(最終以外の面接でも出てくる会社がある)。

 

 

おそらく面接で話す「僕の考え方」や「選択の理由」は、「共感できない」し「理解できない」けれども「何か面白い」ってことで、現場で一緒に働いても良いかも・・・と思われて、現場で働く人、若い人が面接をする1次面接や2次面接は通ることが多かったのだろう。

 

 

しかし、「経験は面白い」んだけれども、おそらく仕事では使えない・・・と最終面接では思われていたようだ。なぜなら、「仕事で必要」な、「相手の理解を得る能力が無い」んだもの(^u^)さらに言えば、直感や感情をもとに意思決定をした話をする僕のような人材は、会社の将来を考えると危険極まりない。

 


僕らは、他人に理解して欲しければ、選択における「合理的な根拠」を示さなければいけない。

 

 

もちろん「何かをやりたい」という出発点は「感情」なんだけれども、出発点から終点までの選択の連続は「感情」や「直感」に頼ってしまうと、それは「社会視点」では受け入れられないものとなる。「社会視点」で受け入れられるようにするためには、「考え方が違う人」でも「共感はできないが、理解はできる」というところまで内容を落とし込む必要がある。そこまで落とし込んで初めて、土俵にあがることができる。共感を得られる人が現れる。

 

 

つまり、社会的な場において何か表現をするときは、

1、自分の選択の理由を相手が「最低限、理解できる」という内容まで落とし込み、

2、「理解ができて、共感される」というステージを目指す必要がある。

 

*ここでは「理解」と「共感」を分けて考える。

 

分類するなら

僕らの意思決定には

・出発点ステージ

・選択ステージの2つがある。

 

出発点ステージ:感情が根拠→共感を呼ぶ

選択ステージ:合理性が根拠→理解される

 

<出発点ステージ>

 

「感情だけ」で相手に伝わるのは

「仲良しの友達との日常会話」である。

 

言いかえれば

 

「同じような感情を共有したことのある人」「今までの自分に対して理解のある人」にしか伝わらない。

 

逆に言えば

 

「あなたを知らない、あなたのような感情を抱いたことのない人」に対しては、全く共感を得られないし「全く理解されない」。

 

<選択ステージ>

 

「合理性だけ」でも相手に伝わる。誰でも理解はできる。共感を呼ぶかどうかは、別である。

 

 

 

 

このまとまりの無い文章で何が言いたいかというと、

 

今後の人生で

何か意思決定、選択をするなら

「感情」と「合理性」の2要素を考慮して

選択をしていこうということだ。

 

 

その繰り返しに慣れれば

「相手に伝わる(選択の理由が)」

話し方ができるようになっていきたい。

 

 

僕は、押しつけがましいかもしれないが、自分の話を理解してもらいたいし、時には、共感してもらいたいと思っている。

 

 

選択の理由が「感情」で伝わらない相手には「合理性」で強く訴える。とにかく、まずは理解してもらう。選択の理由が「合理性」で強く訴えて理解されるものの共感を呼ばないなら、相手の「感情」に訴える。

 

 

これから何かを表現する場面が出くわす度に、感情と合理性を意識していこうと思う。

 

 

 

まとめ

 

 

今までの僕の選択は、他人からすると、選択の理由に「共感できない」し、選択の理由を「理解できない」けども、その選択自体は「面白そう(聞く分、見る分には・・・)」だった。

 

 

これから僕は次のような選択を目指す。他人からすると、選択の理由に「共感できないかもしれない(共感できる時もある)」けど、選択の理由を「理解はできる」。そして、その選択自体は「面白い」時もあれば「つまらない」時、両方あって良しとする。

 

 

つまり、何かの選択においてこれから先は、共感と理解を得られる努力をする。特に、出来る限り合理性を用いて理解されることを重視する(堅苦しいけど。

 

 

 

キーワードは

 

「感情」→「共感」を目指す。

「合理性」→「理解」を得る。

「他人視点で、面白くても、つまらなくても良い」

 

 

長くなった(・・;)

 

 

簡単に言えば、

ちょっとは下調べして物を買え、ということ。

下調べしたデータを友人に話せるようになれ、ということ。

それだけのこと。

 

選択を直感に頼りすぎないようにしよう。。

 

終わり

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コメント: 1
  • #1

    精力剤 (火曜日, 05 5月 2015 05:02)

    「やめて、なんて遠回しな言い方しないで、もっとして、ってちゃんと言ったら?」